2012年7月19日木曜日

インナ・バリ・ホテルに泊まるまで














先月のバリ島旅行で初めて泊ったのが
バリ島の老舗中の老舗インナ・バリ・ホテル
かろうじていまでも「地球の歩き方」に載ってはいるものの
近年は、外国人観光客はあまり利用しない、と聞いていた。

それでも泊ってみたかった最大の理由は、
何年か前まで「ナトゥール・バリ」と呼ばれていたこのホテルの起源が、
バリ島に興味を持ったひとが一度はその名前を聞くであろう
伝説の「バリ・ホテル」だから。

創業はオランダの植民地時代だった1927年。
バリ島で初めて外国人観光客向けに建てられたリゾートホテルで、
当時のバリを欧米に紹介した文化人のほとんどが滞在した場所。
熱帯の旅人」でコリン・マクフィーが真っ先にチェックインするのもここ。

ちなみにカナダ出身の新進作曲家だったマクフィーは、
ヴァルター・シュピースが1928年に現地で録音した
ガムランのSPレコードに衝撃を受けて1931年に初めてバリを訪れている。

※その音源のCDがこちら。マクフィーの演奏も収録。絶版だからかムチャ高いな。

さっきネットで拾ったデータが正しければ、
1924年のバリ島の年間訪問者数(たぶん外国人旅行者のこと)はわずか213人。
1935年時点でようやく3000人だったというから、
その頃はアジアの中でも相当マニアックな場所だったはず。

※追記 最近読んだ本「演出された「楽園」」によると、
バリ島はオランダによる東インド観光推進の拠点だったっぽい。

ついでに言うとヴァルター・シュピースはドイツ人の画家で、
バリに移り住み、バリの芸術に触発され、
現在のケチャやバリ絵画の形式を作り出すなど多くの影響を与えたひと。
1942年に、移送中だった船が日本軍の戦闘機に襲撃されて亡くなっている。
映画がらみでは『吸血鬼ノスフェラトゥ』の監督F・W・ムルナウの愛人でもあったとか。


話が逸れました。ホテルの話に戻ります。


80余年も経って、創業時の建物がそのまま残ってるとは思えないし、
場所はいまでも同じっぽいけれど、
バリでは最大の都会である州都デンパサールのど真ん中だから、
周囲の環境だってまったく変わってしまっているはず。

でも、それでもインナ・バリには、
「バリ・ホテル」だった往時を偲ばせる雰囲気が、まだ残っている、らしいのだ。
だったらいっぺん泊ってみたい。
まだ歩いたことのないデンパサールの街も散策できるし、
毎年6月~7月開催のバリ・アート・フェスティバルに行くのにも便利っぽいし。
じゃあ泊ってみるべきでしょ、もう泊るでしょ、って予約取っちまったよ。

しかし、公式サイトから直接予約したとたん、
突然インドネシアからの迷惑メールが届くようになって大いに不安を煽られる。
てか「インナ」って付くからには国営ホテルでしょあんた。
正直サイトの写真だって信用できない。いつのだよ?
最悪、どーしようもないおんぼろホテルだったとして、
東南アジアでのオモシロ体験だったってことで、同行の友人には許してもらおう。
よし、そうしよう。そうしよう。


で、結論までずいぶん遅くなりましたが、
これが予想以上にステキなホテルだったんです。


長くなりました。レポート、続きます。

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