2016年9月11日日曜日

『淵に立つ』が“生え際”映画の一本に連なる傑作だった件。

深田晃司監督作『淵に立つ』は世評に違わず傑作だった。おそらく黒沢清やミヒャエル・ハネケの文脈で語られるだろうし、実際にその誘惑にも駆られるのだけれど、本質的なところでは異質かつ独特な映画ではないかと思う。

これまでにも深田監督の作品に匂っていた“家族”という形態への不信感のようなものが、一見冷徹に思える作風の裏で怨念のようにふつふつと沸騰していて、結果的に監督の作品でもっとも人間的かつ感情的な作品になっていたように感じた。

やたらと不穏で蠱惑的な浅野忠信の怪演に関してあと少し。

浅野忠信の最近の姿を見る限り、髪の生え際が突然不安定になってきている模様。それは『淵に立つ』でも同じで、むしろ強調されているようにさえ感じるのだが、浅野忠信演じる八坂の丹精な外見、佇まいの中であの生え際のアンバランスさが突出し、あのキャラクターの、ひいては映画全体のいびつな感触を増幅しているのだ。

薄毛のお前は髪の具合に過剰にセンシティブだなと言われるかもですが、キャラクターのビジュアルって映画全体を支配するほど重要なもの。その点で『淵の立つ』の八坂の生え際は、『ノー・カントリー』のハビエル・バルデムのオカッパ頭級のパワーを放っていると思う次第です。

と、『淵に立つ』から派生して、“生え際”映画祭で上映するべき作品を考えてエレベーターが人間を襲うホラー『ダウン』を思い出した。

『ダウン』はナオミ・ワッツがたぶんブレイク前に契約してしまったらしく「なんでこんなB級ホラーに?」と驚いたものだが、イケメン扱いの主人公がやけに薄毛であり、彼が映る度にこれがB級映画であることを痛感させられるのである。おかげで「エレベーターが人を襲う」という強引な大前提も違和感なく見られてしまうという、まるで世界観を象徴するような薄毛であった。

この流れで友人に思い出させてもらったのがケビン・マクドナルド監督の潜水艦映画『ブラック・シー』。リストラされた潜水艦乗りたちがナチスの沈没船を見つけて財宝を手に入れようとするのだが、船長を演じたのがジュード・ロウ。

これが頼れるベテランなんだけど、時代に取り残され、家族も失い、カネだけはいるという散々な苦境に陥っていて、ジュード・ロウの生え際のおぼつかなさがこれまたキャラの不安定さや、しょぼくれた境遇にリアリティをもたらしているのだ。

ジュード・ロウは公私ともにモテモテのイケメンキャラで売ってきたが、同じく薄毛を強調していた『アンナ・カレーニナ』のようにイケメン崩れの成れの果てのような役柄の時に真価を発揮すると思っています。ジュード・ロウ、薄毛界のトップランナー。

と、話が随分と逸れたところで了。

0 件のコメント:

コメントを投稿